投稿者 : manager 投稿日時: 2016-02-14 12:53:19 (441 ヒット)

作者は一人だけど陰で支える原告は10万人

さいたま市 石垣敏夫

 

「 梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ 」

 

この九条俳句の作者はひとりだけど、この作品を支え、

感動・共鳴し陰で支える原告は10万人を超えるであろう。

 

芸術は赤ちゃんの産声と同様、理論から生まれず、感性から生まれる。

 

古今東西芸術作品が生まれたにしても、その作品に感動して伝達、紹介する人々がいなければ、芸術作品として世に誕生することはない。

 

2016年1月28日の第3回公判で原告代理人弁護士は、この作品はひとり作者が公民館の広報に投稿したものではなく、句会に提出されたひとつの作品であり、その作品は句会の仲間と句会の指導者によって認められた秀作である、と詳細に述べた。

 

その秀作に対し、一職員の一存、館長の一存、そしてさいたま市長の一存で掲載を取り消すことは検閲にあたり表現の自由を保障する、憲法に抵触している、ということが明らかにされた。


投稿者 : manager 投稿日時: 2016-01-04 09:15:28 (874 ヒット)

第2回口頭弁論の報告会で門奈立教大名誉教授がおこなったスピーチです。

***

ご紹介いただいた門奈です。

 まずおことわりしておかなければならないことは、私は法律学者でもなければ、社会教育の専門家でもない。一介の社会学者として、ジャーナリズム研究に従事してきた。私の専門に引き寄せて、今回の裁判の意味について考えたい。特に、「表現の自由」とのかかわりで感想を述べたい。

  ジャーナリズムとは英語の「ジャーナル」、フランス語の「ジュルナル」の派生語で、本来の意味は「日常の出来事の記録」という意味。ボルテールはこれを「新しい出来事の発見」と説明した。

 現在では、ジャーナリズムという用語は新聞や放送など、マスメディアの報道活動一般をさすことばになっているが、本来の意味は、「日常の出来事の記録」「新しい出来事の発見」として、「民衆の暮らし、喋るといった往復運動の中で生起する人間の記録活動」ということ。いってみれば、ジャーナリズムとは「生活イデオロギー発揚の一形態であり、人間の生の具現化、生きることへの証明となる営み」。したがって、「ジャーナリズム」は「民衆の様々な生活体験を共有し、人が人として生きる権利を獲得するための精神的営為」だ。

 

 さて、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」

この句は作者自身が語るように「普通の市民」が、見たまま、感じたまま、何の先入観もなく、俳句という日本独特の表現形式で、日本の日常の風景を記録したもので、広義には市民の素朴なジャーナリズム活動の一環として、わたしには受け取れる。


投稿者 : manager 投稿日時: 2015-12-31 10:29:29 (440 ヒット)

法学館憲法研究所がホームページの「今週の一言」のコーナーで取り上げてくれています。

公民館・公共・表現の自由とは、市民が主役とは

この俳句は、2014年の6月に、集団的自衛権行使容認に反対するデモを見た埼玉県さいたま市の女性(原告)が詠んだもので、俳句教室の会員の互選により、翌月の公民館報に載せる句として選ばれました。三橋公民館は毎月発行する「公民館だより」の俳句コーナーに、館内で開かれている俳句教室で選ばれた作品を掲載してきたのですが、2014年の7月号では突如俳句コーナーを削除し、この俳句を不掲載としました。不掲載とした理由について市教委は「世論を二分する内容を含まれており、市の見解と誤解される可能性がある」などと説明していましたが、稲葉教育長は、句会の名前と作者の氏名も書かれているので、私個人としては市の意見だと誤解される恐れはないと考えているが、世論を二分しているものは、やはり掲載すべきではないとの見解を示しました。(中略)

近年、表現活動に中立であるはずの公権力が、私的サークルの思想や表現内容によって表現の機会を奪う事件が次々と起こっています。2014年11月には、国分寺9条の会が「国分寺まつり」で憲法9条に関するパネル展示を行おうとしたところ、内容が政治的だということで出展を拒否されましたし、2015年には、埼玉県新座市のギャラリーで慰安婦をテーマにした中学生向けのパネル展を開催しようとしたところ施設の利用拒否がなされました。政府の方針と異なる言論、政権への批判がこのような手法で統制されていけば、あっという間に取り返しのつかない状況になってしまうでしょう。蟻の一穴とならないようこの訴訟でなんとしても勝訴を勝ち取る必要があります。


投稿者 : manager 投稿日時: 2015-12-18 10:19:13 (575 ヒット)

みなさん
お疲れさま12.11の公判、後の報告会を含めとても充実していました。
投稿させて頂きます。(さいたま市、石垣敏夫)
 
投稿
<梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ> 不掲載は文芸の劣化となる
「公平中立」に反しているのは、さいたま市長等市の職員である

 
三橋公民館(館長引間正己)は九条俳句掲載拒否理由を当初「社会教育法23条1項2号(特定の政党の利害)、同4条(1)(世論が分かれている広告掲載)に則った」と、説明した。
しかし「その根拠は誤りである」と指摘されたら、あわててそれを撤回し、今度は「公平中立論」を持ち出してきた。
何度も述べているが「公平中立とは、偏らないことで、真ん中が正しいと言うことではない」
例をあげれば「業者選定の際、上司の命令とか、政治家の口利きとかで、選定に公正さを欠いてはならない」という公務員の職務原則である。
公民館便りに掲載される俳句(文芸作品等)の評価は、それを鑑賞する住民・市民が行うことで、公表される前に、職員が作者に対して行うことではない(掲載の可否を述べることは検閲に相当する)。
 
不掲載理由のすり替え「公平中立論」について

このすり替え「公平中立論」について作者及び多くの市民が市の教育委員会に抗議をしたところ「みなさんが何と言おうが、何回市に問いただしても『公平中立』論の見解は変わりません」と居直ってきた。それゆえ、作者とその仲間は「泣く子と地頭には勝てない」などと諦めることなく歯を食いしばり、訴訟に踏み切った。
公民館職員の行動動機は「九条俳句を住民が目にする前に選定から外せば、清水勇人さいたま市長、上田清司埼玉県知事、安倍晋三首相等から『ウイ奴だ』と、お褒めの言葉をいただけるであろう」ということである。これは直接上司の命令ではないが、職員が勝手に「上司の意」を汲んで行ったことで、これを忖度(そんたく)という。
この行動は「業者選択の際と同様」上司の意を汲んで行ったことであり「公平中立」に反する行為である。
このことを「九条俳句を不掲載に」と進言した職員、引間館長はもとよりさいたま市稲葉康久教育長、清水市長等は認識していない。
この問題の本質は公務員・市の職員が「公民館は誰の為にあるのか」という目的を理解していないことから来ている。公平中立に反する、
この自分の出世しか考えない「忖度」が今の日本にはびこり、安倍政権は忖度人事ともいわれ、日本社会の劣化を加速させている。
 (九条俳句応援団:埼玉県平和資料館を考える会世話人)
 


投稿者 : manager 投稿日時: 2015-12-15 10:05:37 (426 ヒット)

ありがとうございます。賛同人も750名を超えています。

★ひとつだけ気になったこと。教育委員会は市長から独立した執行機関です。地教行法が今回改訂されましたが、この点は変わりありません。市長に働きかけるのは、教育行政の独立性を否定することにつながることになります。この点ちょっと心配でした。
★「『さいたま市生涯学習センター』は看板に偽りあり!」
旧来の社会教育法に基づく公民館に代る「生涯学習」という新しい理念に依る生涯学習センターの役割は、従前の団体登録を前提とする集団教育の場ではなく、市民ひとり一人の自己啓発を旨としている。教育する側ではなく、学習する者を主体としている。
「生涯学習」は当初「生涯教育(life long education)」として登場しながら、「生涯学習(life long learning)」に言い換えられた経緯がある。
しかし、本市の生涯学習センターは、看板だけ書き換え、条例は社会教育法の公民館のままのものとなっている。
実は今日の公民館~生涯学習センターの運営は、教育目標の守旧派と学習者本位の新市民派とが対立している。
市の公民館・生涯学習センターは残念ながら守旧派の典型である。
学習者ホームページにの運営に変えるには、教育基本法第3条と生涯学習振興法、ユネスコのlife long learningへの転換へのいきさつを参照し、教育行政から外していくこと(例:堺市)が必要である。
 以上、本日の発言に無かった点をひとつ。


« 1 2 3 4 (5) 6 7 »